七夕神社にまつられている織姫神の御神体 宝満川に掛かる「稲吉橋(いなよしばし)」を、昔の人は、七夕物語に出てくるカササギの橋になぞらえたのでしょうか。この橋をはさんで西側にある七夕神社、そして東側にある老松宮(おいまつぐう)に、まるで対(つい)で作られたような二本の御神体(ごしんたい)がまつられています。
小郡市大埼(おおざき)にある「七夕神社」にまつられているのは、赤い中国風の衣裳をまとい、手に糸巻きを持つ女性の像です。この七夕神社(媛社(ひめこそ)神社)には、媛社神(ひめこそのかみ)と織姫神(おりひめのかみ)がまつられていますから、この像は、七夕物語の織姫をモチーフにして彫られたものであろうと思われます。像には『明和六年三月十日京寺町通三条上二丁目 大仏師 中村杢之丞』と彫られています。この御神体が彫られた(奉納された)期日と、作者の住所・号(名)でしょう。明和六年=一七六九年ですから、今からおよそ二百三十年前に彫られたものです。
老松宮にまつられている犬飼神の御神体 稲吉(いなよし)という集落にある老松宮には犬飼神(いぬかいしん)の御神体がまつられています。この犬飼神は、犬飼宮(いぬかいぐう)という宮でまつられていたのですが、大正十二年のほ場整備(水田の区画整理)の時に現在の老松宮に合祀(ごうし)(合わせてまつる)されました。(犬飼宮の跡地は、老松宮より三百メートルほど北の水田の脇に残っています)。この犬飼神の御神体も七夕神社の御神体とほぼ同じ時期に作られたようです。青い中国風の服をまとい牛を連れています。牛を連れているのに「犬飼神」とは?と思いがちですが、千年程前の社会では、動物を飼う職業が分業であり、犬は狩猟用の家畜として飼われていたので、牛や馬などの家畜ともつながりがあったからではないかと推測されます。
この神社や御神体は、地元では昔から「七夕さん」「犬飼(いんかい)さん」と、親しみを込めて呼ばれていました。なにやら、中国で生まれた七夕伝説が、海を渡って、小郡に根づいたのではと太古のロマンをほうふつとさせる気がしませんか?この御神体は、普段は公開はしていませんが、七夕神社にある案内板の写真で、その姿を見ることができます。
(七夕神社の宮司でもある、日吉神社の多田隆宮司のお話を参考にさせて頂きました。)
※平成7年7月7日発行の七夕ほんから記載しています。